今日も一日いい天気、雨季が終わった気がする。
さてさて何しよっかなー。って考えて外に出た。ご飯を食べて戻ってきた。あーシャワー浴びよう。シャワーあ・・・び・・・よ・・・う。シャワー・・・・zzzz
寝た。
今日は祭り、確かインドラの祭りだった気がするけど細かいことはいいや。
ダルバール広場に行った。祭りで人がいっぱい。



クマリ(ネパールの生き神様)の山車が出てきた時の盛り上がりはすごい。この高揚感は見ていてわくわくどきどきする。
祭りの音が素敵。音とか絵とか小説とか映画とかこういうアートが僕は大好きです。
草枕の冒頭、こういうところに詩ができて絵ができる、、のくだりを思い出した。人間は本当にすばらしい。
これがくだりです。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。
住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画(え)である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧(わ)く。着想を紙に落さぬとも※(「王へん+樛のつくり」、第3水準1-88-22)鏘(きゅうそう)の音(おん)は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。丹青(たんせい)は画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)の絢爛(けんらん)は自(おのず)から心眼(しんがん)に映る。ただおのが住む世を、かく観(かん)じ得て、霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得(う)れば足(た)る。この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、無色(むしょく)の画家には尺※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)するの点において、かく清浄界(しょうじょうかい)に出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの不同不二(ふどうふじ)の乾坤(けんこん)を建立(こんりゅう)し得るの点において、我利私慾(がりしよく)の覊絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、――千金(せんきん)の子よりも、万乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の寵児(ちょうじ)よりも幸福である。(青空文庫より)
夜考えた。これがポエムっぽくなっているけど、恥ずかしいので簡単に要約したものをここでは載せる。
人生ってすばらしい。誰かとであったり恋をしてみたり、っていう昔流行った歌が頭をよぎり、自分と人を信じることの大切さを一人考えた。人を信じると人生が楽しくなるなって思った。
人も自分も、アートも物質も、世界も日本も、すべてが好きになった。こんな素晴らしい星に生まれたことを感謝した。
そして自分の弱いところを認めた。怒られてとめてほしいって思ったり、心配されたかったり、慰められたかったり、やさしくされたかったり、、、、でもそれは自分でやらないとって思った。いつまでも子供になっているわけにもいかない。
仕事をしていたとき欝になっていたけれど、あの時もう一人の自分が出てきてた。そしてインドにきた気がする。多分、あの時のもう一人の自分は今の俺なんだと思う。
だからタイムマシーンに乗ってあのときの自分にあの時にかけられた言葉をかけにいこうかと考えた。
大学生の時からずっと思い描いてた自分に今なった。やっと見つけた。
さてさて何しよっかなー。って考えて外に出た。ご飯を食べて戻ってきた。あーシャワー浴びよう。シャワーあ・・・び・・・よ・・・う。シャワー・・・・zzzz
寝た。
今日は祭り、確かインドラの祭りだった気がするけど細かいことはいいや。
ダルバール広場に行った。祭りで人がいっぱい。



クマリ(ネパールの生き神様)の山車が出てきた時の盛り上がりはすごい。この高揚感は見ていてわくわくどきどきする。
祭りの音が素敵。音とか絵とか小説とか映画とかこういうアートが僕は大好きです。
草枕の冒頭、こういうところに詩ができて絵ができる、、のくだりを思い出した。人間は本当にすばらしい。
これがくだりです。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。
住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画(え)である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧(わ)く。着想を紙に落さぬとも※(「王へん+樛のつくり」、第3水準1-88-22)鏘(きゅうそう)の音(おん)は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。丹青(たんせい)は画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)の絢爛(けんらん)は自(おのず)から心眼(しんがん)に映る。ただおのが住む世を、かく観(かん)じ得て、霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得(う)れば足(た)る。この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、無色(むしょく)の画家には尺※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)するの点において、かく清浄界(しょうじょうかい)に出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの不同不二(ふどうふじ)の乾坤(けんこん)を建立(こんりゅう)し得るの点において、我利私慾(がりしよく)の覊絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、――千金(せんきん)の子よりも、万乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の寵児(ちょうじ)よりも幸福である。(青空文庫より)
夜考えた。これがポエムっぽくなっているけど、恥ずかしいので簡単に要約したものをここでは載せる。
人生ってすばらしい。誰かとであったり恋をしてみたり、っていう昔流行った歌が頭をよぎり、自分と人を信じることの大切さを一人考えた。人を信じると人生が楽しくなるなって思った。
人も自分も、アートも物質も、世界も日本も、すべてが好きになった。こんな素晴らしい星に生まれたことを感謝した。
そして自分の弱いところを認めた。怒られてとめてほしいって思ったり、心配されたかったり、慰められたかったり、やさしくされたかったり、、、、でもそれは自分でやらないとって思った。いつまでも子供になっているわけにもいかない。
仕事をしていたとき欝になっていたけれど、あの時もう一人の自分が出てきてた。そしてインドにきた気がする。多分、あの時のもう一人の自分は今の俺なんだと思う。
だからタイムマシーンに乗ってあのときの自分にあの時にかけられた言葉をかけにいこうかと考えた。
大学生の時からずっと思い描いてた自分に今なった。やっと見つけた。
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