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インド旅行記&海外ボランティア活動日記

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インドの歴史10-ムガル帝国とヨーロッパ勢力の侵入

中央アジアでティムール帝国(現在のウズベキスタン)が滅亡すると、ティムールの一族であるバーブルはアフガニスタンを通って北インドへ南下してきます。バーブルは最後のデリー・スルタン朝とされるロディー朝をパーニーパットの戦いで破ってデリーへ南下、1526年そのままデリーにムガル帝国を建てます。

1530年、2代目、フユマーンはそのそのときのヒンドゥーの地方領主であるラージプートと戦いを続けますが、中央アジアのシェール・シャーに敗れて領土を逆に失います。ちなみにデリーにはフユマーンの墓があります、(入場料がちょっと高いです)

1556年、3代目、アクバルの時代にムガル帝国は全盛期を迎えます。彼はヒンドゥー教を政治の重要ポストに登用したり、ヒンドゥー教に対しての税金を免除したりとヒンドゥー教との融和政策を図っていきます。そして、都をデリーからアーグラーに移し、アーグラー城を建てます。(アーグラー城もちょっと高いです。)

1605年、4代目、シャハーンギルの時代にペルシア(今のイラン)からさまざまな文化が入ってきて、ヒンドゥー的なものと、ペルシアンなものが合体し、独特の文化が生まれます。

1628年、5代目シャージャハーンの時代になり、ムガル帝国は最盛期をむかえ、支配領域は南のデカン方面に及んでいきます。デリーにはラールキラー・アーグラーには亡き妻の墓標としてあのタージマハルが建てられます。このシャージャハーンの晩年になると、息子のアウラングゼーブは自分が王位継承できないことを恐れ、父親をアーグラー城に幽閉します。今でもアーグラー城には幽閉の塔という場所があって、そこからタージマハルが見えます。

そしてこの頃になると、ヨーロッパ勢力が貿易を目的にインドに進出してきます。ポルトガルはすでに1510年にゴアを領有、イギリス東インド会社は1639年オランダからチェンナイを獲得し、セントジョージ砦を設立(今もチェンナイにあります)。オランダ東インド会社はセイロン島(今のスリランカ)とコーチン(今のケーララ州)に進出します。

1658年、アウラングゼーブが6代皇帝になります。彼はこれまでのヒンドゥーとの融和政策を逆転し、税金を復活させます。これが原因となってヒンドゥーの民族であるマラータ族から反感を買い、その頃入ってきたヨーロッパ勢力との戦争の中で、ムガル帝国は衰退していきます。ちなみに西インドにはアウラングゼーブにちなんだアウランガーバードという街があり、タージマハルをパクったようなアウラングゼーブの妻の墓があります。

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