インド 旅行記 ボランティア
 

インド旅行記&海外ボランティア活動日記

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インドの12-イギリス植民地時代

まぁ、こんないけいけイギリスとは裏腹にインド人はどんどんと搾取され、不満が広がっていきます。
この不満が爆発し、1857年、全インドにひろがるインド大反乱(セポイの反乱、第一次インド独立戦争)となります。
イギリスはこれに徹底的に鎮圧を図り、翌年にムガル帝国を廃止(まだあったんだって感じっすね。)、これまで貿易という名目で統治していたのを本格的にインド総督を派遣して直接統治に変わります。そして1877年、イギリスのヴィクトリア女王がインド皇帝を兼任するイギリス領インド帝国が成立します。これによりそれぞれの藩王国は今まで独立・自治権がありましたが、自治権が弱まり、イギリス領インド帝国の一部となります。たしか(11の直轄州と562の藩王国だったと思います。)

イギリスはまた、頭がいいというか狡猾というか、インド統治に関しては分割統治という手法をとり、
インド国民会議を設け、建前上、インド人の意見も聞くよということでインド人知識人層・裕福層を取り込んでいきます。

しかし、1905年の日露戦争における日本の勝利、同年のベンガル分割令への反発などから反イギリスが強まり、インド国民会議は民族主義政党へ変わっていきます。こうしたなか、イギリスは親イギリス組織として全インド・ムスリム連盟を発足、このムスリム連盟は、人口で、ヒンドゥー教徒に対し劣っているイスラム教徒の力が国民会議派の運動によってさらに弱まると考えてイギリスの支持にまわります。

そしえ1914年、第一次世界大戦が勃発、イギリスは植民地インドからインドに対して自治を与えるという約束の下、兵力を負担させます。だけどイギリスは約束を守らず、(イギリスはいつもこうっすね)これに対してインド民衆から不満の声があがると、イギリスはこれに対し、1919年、出版物の検閲、令状なしの逮捕などを認める。ローラット法を制定して、民族運動の弾圧を強化していきます。

そして、この法に対する抗議のためジャリヤーンワーラー庭園(今のパンジャーブ州アムリトサル)に集まった非武装のインド人に対してイギリス人のダイヤー准将が無差別射撃するアムリトサルの大虐殺が起き、ますます独立運動は激化していきます。

そしてそんな中、あの非武装で有名なマハトマ・ガンディーが登場します。彼によっていままで知識人主導であったインドの民族運動は大衆レベルにまで広がっていきます。
ガンディーによってはじめられた非暴力・不服従の運動によって、数百万の人びとがデモや集会への参加、交通機関のストップ、イギリス製品排斥や地税不払いなど、どんどんと反英運動を展開していき、イギリスのインド支配を今まで以上に動揺させていきます。

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