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インド旅行記&海外ボランティア活動日記

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インドの歴史13-独立から現代

ガンジーの運動の結果、1947年、インドはイギリスからの独立を果たします。しかし、独立する前は協力していたヒンドゥーとイスラム勢力が、争うようになり、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒との宗教間紛争が勃発、イスラム教徒たちはパキスタンを建国します。インド初代首相にはネルーが就任し、政教分離の世俗主義という柱で国の統一を図ります。

ちなみにガンジーはイスラムとヒンドゥーの融和主義をとき、ヒンドゥー教徒に暗殺されてしまいます。

この時に藩王はヒンドゥー、住民はイスラムという複雑な状況で、インドに帰属しながらもパキスタンも領有権を主張しているのが北部カシミールで、今でも両国が領有権を主張しており、危険地帯になっています。

独立後のインドは外交の柱に「非同盟・中立主義」をうたい、ネルー首相は非同盟主義を掲げて国際舞台に登場、当時対立していた、アメリカ、ソ連の両大国のいずれにもつかないでアジアの利益を守る動きをみせました。しかしアメリカがパキスタンと関係を深め、北部の領有権を争っている中華人民共和国もパキスタンに近づくと、インドはアメリカと敵対している、ソ連との関係を深めていきます。これによってパキスタンとアメリカ、インドとソ連というミニ冷戦のような構図ができあがります。(この関係でインドと日本はなじみが薄いのかもしれないっすね)

カシミールを巡って、インドとパキスタンとの対立はその後も続き、第一次印パ戦争(1947年 - 1948年)と第二次印パ戦争 (1965年 - 1966年)が起こり、第三次印パ戦争 (1971年)後、東パキスタンがバングラディシュとして独立します。インド・パキスタンの対立は今も続いており、両国が核武装を行い、国際社会の中で問題となっています。

1964年にネルーが死去すると、国民会議派のラール・バハードゥル・シャーストリーの短期政権を経て、1966年にはネルーの娘インディラガンディーが長期政権を担います。
が、長期にわたって議会の多数派を占めてきた国民会議派は地方政党の台頭によって政権基盤が動揺し、1977年の選挙では大敗して、ジャナタ党に政権を譲ることとなります。

1980年、インディラガンディーは政権に戻りますが、1984年に暗殺、息子のラジーヴ・ガンディーが政権を担いますが、辞職後に暗殺されます。かなりインドの独立後は不安定な状態になっています。

1990年代に入り、ヒンドゥー至上主義の立場をとるインド人民党がアタル・ビハーリー・ヴァージペーイーのもと勢力を伸ばし、1998年から2004年まで政権を獲得します。

2004年以降は国民会議派で初めて非ヒンドゥー教徒で、スィク教徒のマンモハン・シン政権がつづいています。

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