インド 旅行記 ボランティア
 

インド旅行記&海外ボランティア活動日記

Selfish

夜、瞑想中一緒だったしげさんと一緒にご飯を食べた。

会話の中で「なんでまだボランティアやろうとしているの?」と彼女は言った。会話の中でボランティアに対する思いが薄いのを感じたんだろう。
うすうす自分でも疑問に思っていただけに人から言われたのはなんかうれしかった。

確かにボランティアをやる理由もモチベーションも今となっては特にない。あるのは面子と最初に決めたことをやるという柔軟性のなさだけである。

コミュニティーや技術支援でのボランティアは自分の納得いく形で終えれたが、普通の国際交流という意味でもボランティアはネパールで見事に失敗しているのである。

はじめにボランティアをやろうと思ったのは色々な理由があるが、ひとつに自分の将来のために形として何かを残し、キャリアとして役立てるというのがあった。だが、長いこと旅をしているうちに、将来とかキャリアとかはどうでもよくなってしまった。言い方を換えれば、国際交流をキャリアプランにすることは過去の遺物なのである。その過去の遺物にまだとらわれているのだろうか?

これはボランティアをやるとかやらないとか形の部分ではなくやりたいことをやれているかどうかの問題。

ボランティア活動をするのはすばらしいこと。でもそれはしがらみや面子ではなく、自分の楽しみ、欲求に基づいているものであってほしい。

この日記でもそうだが、特に人と話をしているときに、過去のインドとバングラデシュのボランティアは楽しそうに話しているがネパールでの失敗から、国際交流的なボランティアをしたいという気持ちは一切ないということにはっと気づく。逆に考えればそもそもボランティアなんて性格に会っていないのにもかかわらずこの二つは特殊な形態であったために、好きになれたっていうことは本当に運がいい。

インド・バングラデシュではやりたいことをそのまま自由にやれていた。けれどネパールに来て、多分、普通の国際交流的なボランティアであったという理由から、失敗し、それから、それに変わる何かをやらなければいけないと思ってた。
その意味ではこの300日以上の旅の中で一切後悔はない。でも、やらなければいけないという考えを捨てようかと思う。もう、すべて自分の思い通りやっていいという考えに気づかせてくれたネパールのボランティアにはある意味感謝する。

自分がやりたいことを空気が流れるように自然にやりたい。幸いにも今、ボランティアをできる状況なのだ。ボランティアしたければすればいい。したくなければしなければいい。旅行に行くのもいい。カトマンズでぼーっとしてるのもいい。何かをやる、何もしないってことにそもそもこだわる必要なんてないのだ。
そう考えるとあのときからあった心の曇りが一気に晴れた。

しげさんは年上の人だ。この旅では特に、年上の人から教わることが多い。その一つ一つの出会いにいつも感謝しているが今回も感謝である。ありがとうという言葉では伝えきれないくらいいつもいつも大きい。この気持ちという目に見えない大きなものを自分の心にしまいながら、今日もまた旅を続ける。ありがとうございます。

旅ももう2ヶ月をきっている。完全に終盤である。旅というのは中々形に残しにくい。だからこそ自分の心に1日1日刻み込んで、日々生きていく。そしてそれを少しでも他の人に伝わるように、文章をかくことが大好きな人間として、1日1日丁寧に日記を書いていく。

Selfishっていう曲がある。友達がやっていたバンドの曲だ。歌詞が今になって好きになった。

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