1年前の11月、何かよくわからないまま、ボランティアをしようとインドに来た。ムンバイに着き、一通り観光をした。旅行がしたくなった。
チェンナイへ行き、大嵐の中、サダナフォレストへ行った。完全に未知の経験で苦しい時があった。でも1ヶ月位したら生活に慣れ、日本とは真逆といってもいいような生活を楽しんでいた。人が皆、異常なくらいやさしかった。いい人だった。純粋だった。素直だった。愛に溢れてた。ここにいることで、考え方が前向きになり、自分が根本的に変わった。
旅行することにした。インドの最南端、カニャークマリでコレラかとおもうほど吐きまくって白液便がでて死ぬかと思った。ポンディチェリーから北へ向かった。バンガロールとハイデラバードは印象に残っていない。エローラとアジャンターの遺跡はすごかった。グジャラートでホーリーを逃し、ラジャスターンで象に乗り、アーグラーでタージマハルを見て、デリーで沢山の日本人とはなし、パキスタンビザをとりラホールは、、、覚えてない。アムリトサルでシク教のターバンにびびり、黄金寺院でまったり、、ダラムシャラーでダライラマをちょっとみて、リシュケシュに行った。
ヨガをやったけどすぐに飽きた。暇だったので、本とかネットとかでインドについて勉強した。ヒンズー教やヨガ、神様といった形而上学的な物がどんどん好きになって宗教に興味が沸いた。
アーグラーで灼熱の中、インドの大学を見に行き、コルカタで尋常じゃないくらい汗をかいて、バングラデシュに行って何かの縁かボランティアをした。
強烈だった。灼熱の中、電気がない、FANが回らない、ネットが繋がってるのか繋がってないのか、すれすれの状況下で事務作業。。。。キレまくった。キレていいと思った。でも最後は仲良くなった。バングラデシュ出国直前に村に監禁され、カメラを盗まれた。怖かった。
インドに戻った。ダージリンで避暑をして、綺麗な風景の中、優雅にすごし、シッキムで女3人の家に泊まり、幸せにすごし、ブータンに密入国し、シリグリーでネット屋のオヤジに殴られ、コルカタで、日本人と話し、マザーハウスへ行き、ブッダガヤーの日本寺で瞑想し、バラーナシーで皆既日食をみて、神様を御参りし、韓国人と知り合い、面白い人と話した。ガンガーはすべてを見守っていた気がした。
ネパールに行き、オーストラリアのワーホリに行くことを決め、しばらくゆっくりしてからボランティアに行った。残念ながら失敗し、仲が悪くなって出てきた。悲しかった。何をしていいか分からず悩んだ。そして沈没した。沈没してたら何かしたくなったので、ビパサナ瞑想合宿に行った。自分を見つめた。段々と気持ちが楽になり、物事に集中して楽しむようになった。
ボランティアを見つけるが、やりたいことをやろうと思い、のんびりしてた。後悔はなかった。沢山の旅人と話した。いつか世界一周がしたいと思った。ポカラに行き、ヒマラヤを見て感動して、カトマンズでバイク事故にあい、、、、、とにかく遊びまくってた。
そして今日、そんな1年が終わる。
朝起きて、タメルの住人に挨拶し、トモさんに見送られて、タクシーで空港に向かった。靴を履くのも靴下を履くのもジーンズを履くのも1年ぶりだ。
長いようで短いようで長いようで短いようで、、、よくわからない。とりあえず終わった。
なんか、、、、、、楽しかったな。
人生はこんなに楽しいものだったっていうことを知った。めっちゃ怒って、めっちゃ笑って、めっちゃ泣いて、めっちゃ考えた。マジで一生分の感情を出した気がする。それでいて落ち着いて考えてて物事に動じなくなった。たくましくなったのかな。
日記を書き続けた。ほぼ毎日。。。よくこんな書いたな(笑)
嫌なことがあった時や何もない時でも書き続けた。毎日毎日が素敵すぎて、人に伝えたかった、そしてそれ以上に、一生消えない思い出を心に刻みつけたかった。それと文章を書いているのがとりあえず幸せだった。
この旅の中で、何をしたか、何ができたかわからないけれど、とりあえずボランティアであってもボランティアでなくても自分の優しさとかやるべきことはすべて旅先に置いてきた。悔いはない。でも、恐らく、置いてきたものよりももらったものの方が大きい。いろんな人にいろんなものを貰った。感謝してもしきれない。
インド、バングラデシュ、ネパールていう国にありがとうっていいたい。すべての出会った人達と運命に感謝したい。
今日でこの日記は終わるけど、俺の人生はまだまだ続く。シヴァとブラフマーとヴィシュヌのようにすべては破壊され、創造され、維持され、永遠に続く。旅もそう。旅は終わらない。人生そのものが旅だと思う。今日は一里塚でしかない。また次の旅は始まる。
また楽しい旅ができるといいな。
・・・・・・・・・・そんなことを思いながら、抱え切れないくらいの思い出を持って、飛行機に乗り東へ向かった。
インド旅行記&海外ボランティア活動日記 今日は生きてます!!
完
チェンナイへ行き、大嵐の中、サダナフォレストへ行った。完全に未知の経験で苦しい時があった。でも1ヶ月位したら生活に慣れ、日本とは真逆といってもいいような生活を楽しんでいた。人が皆、異常なくらいやさしかった。いい人だった。純粋だった。素直だった。愛に溢れてた。ここにいることで、考え方が前向きになり、自分が根本的に変わった。
旅行することにした。インドの最南端、カニャークマリでコレラかとおもうほど吐きまくって白液便がでて死ぬかと思った。ポンディチェリーから北へ向かった。バンガロールとハイデラバードは印象に残っていない。エローラとアジャンターの遺跡はすごかった。グジャラートでホーリーを逃し、ラジャスターンで象に乗り、アーグラーでタージマハルを見て、デリーで沢山の日本人とはなし、パキスタンビザをとりラホールは、、、覚えてない。アムリトサルでシク教のターバンにびびり、黄金寺院でまったり、、ダラムシャラーでダライラマをちょっとみて、リシュケシュに行った。
ヨガをやったけどすぐに飽きた。暇だったので、本とかネットとかでインドについて勉強した。ヒンズー教やヨガ、神様といった形而上学的な物がどんどん好きになって宗教に興味が沸いた。
アーグラーで灼熱の中、インドの大学を見に行き、コルカタで尋常じゃないくらい汗をかいて、バングラデシュに行って何かの縁かボランティアをした。
強烈だった。灼熱の中、電気がない、FANが回らない、ネットが繋がってるのか繋がってないのか、すれすれの状況下で事務作業。。。。キレまくった。キレていいと思った。でも最後は仲良くなった。バングラデシュ出国直前に村に監禁され、カメラを盗まれた。怖かった。
インドに戻った。ダージリンで避暑をして、綺麗な風景の中、優雅にすごし、シッキムで女3人の家に泊まり、幸せにすごし、ブータンに密入国し、シリグリーでネット屋のオヤジに殴られ、コルカタで、日本人と話し、マザーハウスへ行き、ブッダガヤーの日本寺で瞑想し、バラーナシーで皆既日食をみて、神様を御参りし、韓国人と知り合い、面白い人と話した。ガンガーはすべてを見守っていた気がした。
ネパールに行き、オーストラリアのワーホリに行くことを決め、しばらくゆっくりしてからボランティアに行った。残念ながら失敗し、仲が悪くなって出てきた。悲しかった。何をしていいか分からず悩んだ。そして沈没した。沈没してたら何かしたくなったので、ビパサナ瞑想合宿に行った。自分を見つめた。段々と気持ちが楽になり、物事に集中して楽しむようになった。
ボランティアを見つけるが、やりたいことをやろうと思い、のんびりしてた。後悔はなかった。沢山の旅人と話した。いつか世界一周がしたいと思った。ポカラに行き、ヒマラヤを見て感動して、カトマンズでバイク事故にあい、、、、、とにかく遊びまくってた。
そして今日、そんな1年が終わる。
朝起きて、タメルの住人に挨拶し、トモさんに見送られて、タクシーで空港に向かった。靴を履くのも靴下を履くのもジーンズを履くのも1年ぶりだ。
長いようで短いようで長いようで短いようで、、、よくわからない。とりあえず終わった。
なんか、、、、、、楽しかったな。
人生はこんなに楽しいものだったっていうことを知った。めっちゃ怒って、めっちゃ笑って、めっちゃ泣いて、めっちゃ考えた。マジで一生分の感情を出した気がする。それでいて落ち着いて考えてて物事に動じなくなった。たくましくなったのかな。
日記を書き続けた。ほぼ毎日。。。よくこんな書いたな(笑)
嫌なことがあった時や何もない時でも書き続けた。毎日毎日が素敵すぎて、人に伝えたかった、そしてそれ以上に、一生消えない思い出を心に刻みつけたかった。それと文章を書いているのがとりあえず幸せだった。
この旅の中で、何をしたか、何ができたかわからないけれど、とりあえずボランティアであってもボランティアでなくても自分の優しさとかやるべきことはすべて旅先に置いてきた。悔いはない。でも、恐らく、置いてきたものよりももらったものの方が大きい。いろんな人にいろんなものを貰った。感謝してもしきれない。
インド、バングラデシュ、ネパールていう国にありがとうっていいたい。すべての出会った人達と運命に感謝したい。
今日でこの日記は終わるけど、俺の人生はまだまだ続く。シヴァとブラフマーとヴィシュヌのようにすべては破壊され、創造され、維持され、永遠に続く。旅もそう。旅は終わらない。人生そのものが旅だと思う。今日は一里塚でしかない。また次の旅は始まる。
また楽しい旅ができるといいな。
・・・・・・・・・・そんなことを思いながら、抱え切れないくらいの思い出を持って、飛行機に乗り東へ向かった。
インド旅行記&海外ボランティア活動日記 今日は生きてます!!
完
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